「ステージパパ、レオポルトの本音」 スヴィーテン男爵との出会い(36)
――ウィーン移住後の息子さんについて、音楽的にはお父さんはどう見ておられたのですか。
レオポルト 作曲を自らすることはもう放棄していましたが、私も音楽家ですから、もちろん、息子が音楽的にどう変わっていくのか、興味は持っていました。なかでも、対位法の勉強を一生懸命やっているという報告は受けていましたので、それをどんな風に作曲の中で使うのだろうと、注目していたわけです。
――息子さんは、スヴィーテン男爵からバッハやヘンデルの楽譜を借りて練習していたと言われていますね。
レオポルト あれにとって、男爵と巡り合えたことは、天恵だったのではないですか。男爵はバロック音楽の大ファンであり、また楽譜のコレクターでもあったので、自宅でバロック音楽の演奏会を催し、その道の人たちが集まるサロンのようなものを提供していました。ヴォルフガングにとり、ゼバスチャン・バッハの音楽に直接接する機会を得たことは、相当刺激的な体験になったはずです。息子は、1764年にイギリスで、ゼバスチャンの末の子のクリスチャン・バッハと知り合いになりましたが、その時はまだ8歳ですから、父ゼバスチャンの偉大さに気づくことは難しかったでしょう。そして息子の音楽的成長が、ようやくその音楽を受容することを可能にしたのです。
――対位法の練習曲をさかんに作曲されていたようですね。
レオポルト 『前奏曲と三声のフーガ』なんかを送ってきましたよ。手紙の中で、「このフーガが生まれたのは、実はいとしいコンスタンツェのお陰です」と書いていますが、あれの妻は、フーガが好きだったようです。
――具体的には、息子さんは対位法をどのように消化されたのですか。
レオポルト 言葉で説明するのは難しいのですが、これまでのギャラントな曲調に、対位法的なものをうまく入れ込んで、絶妙な奥行きを与えているように感じられます。1782年の年末に弦楽四重奏曲第14番ト長調(K387)の作品を書いていますが、その四楽章をお聴きいただくと、私の言ったことが分かっていただけると思いますね。その後もその方向で、さらに洗練された複雑なもの、それでいながら、実に心地よいものを書いています。最高傑作は、何と言っても、最後のシンフォニー《ジュピター》(K551)の第四楽章でしょうか。もっともこれが書かれた時は、私はこれを天上で聴きましたので、その音色が殊に深い感動をもたらしたことを、ここで告白しなければなりません。
モーツァルト・バー「キール」
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