国政刻刻 「すべての子どもたちの育ちと学びを社会のみんなが支える」仕組みを作る
現政権が掲げる「異次元の少子化対策」をめぐり、児童手当の所得制限の是非の議論が進んでいます。
発端となったのは、自民党の茂木幹事長が衆院代表質問で「児童手当の所得制限を撤廃すべき」と主張したこと。この発言を聞いて、私は椅子から転げ落ちそうになるくらいに驚きました。
民主党政権で制定した「子ども手当」には、所得制限などなく、すべての子どもたちに等しく交付したのに対し、当時の自民党はバラマキだとし、「子育てを家族から奪い取り、・・・ポル・ポトやスターリンが行おうとした」(安倍元首相)と激烈に批判し、「愚か者」(丸川珠代参院議員)と罵(ののし)られました。
もちろん、良い方向に変節するのは大歓迎ですが、これは単に児童手当という施策についての問題にとどまらず、子ども・子育て政策の根底にある理念の問題です。児童手当のみならず、児童扶養手当や保育料、高校授業料、給付型奨学金など様々な施策に所得制限が設けられているからです。
私たちは、「すべての子どもの育ちと学びを社会のみんなで支えていく」ことを大きな理念としています。一方、「子育ては親が担うべきであり、困難な場合にのみ行政が支援する」という考え方もあります。
後者の考え方でいくと、所得制限を設けることが必然となります。ただ、制度によって制限される所得額が異なるため、子どもが多いのに対象から外れたり、合計所得が高い共働き世帯が対象になったりする不公平が出てきます。
また、「もらっている」「もらっていない」といった分断線が社会に引かれてしまうことも問題です。そもそも、親の年収で子どもを区別するなどあってはならないと思います。
昨年の出生数が1899年の統計開始以来、初めて80万人を下回る見通しとなりました。国際法の概念による国家を構成する要素は、「国民」と「領土・領海・領空」と「主権」。その1つの「国民」の規模が縮小していくことを、有事と言わずして何と言うのでしょうか。
今こそ、「すべての子どもたちを(所得によって限定するのではなく)」、「社会のみんなで(親だけに責任を負わせるのではなく)」、その育ちと学びを支える仕組みを作り上げなければなりません。






