「ステージパパ、レオポルトの本音」 西方への大旅行、ミュンヘンへ(10)
――1763年6月9日に相当大がかりな旅に出られますね。ねらいは何だったのですか。
レオポルト 最初のウィーン旅行が予想以上の成果を上げたので、ウィーン滞在中から、次はもう少し遠方まで足を延ばし、この子の奇蹟を多くの国の方々に知っていただき、あわよくば、将来に向けた何らかの足がかりに出来ればと思うようになりました。このインタビューでは本音で語ることが約束になっていますから、正直申し上げますが、ウィーンに行っただけで、私の年収の何倍もの報酬を得ることができたのです。収入を得られた上に、息子にはウィーンという最高の音楽環境に身を置く機会が与えられ、さらにその才能を披露する場が、あちこちに提供されたわけです。息子の才能を伸ばすことは、神意にも適っていることですし、実際のところ、私はザルツブルクでの職務より、息子の教育に全エネルギーを捧げようと誓ったあの日以来、いつかこういう日が来ればと願っていましたが、まさにそれがこんなにも早く実現したという思いでした。さらに大がかりな旅をするとなると、まずは準備が肝心。一番大切なのは、逗留先で新しい関係を広げていくために、あらかじめウィーンで知り合いになった方々に、さまざまな国におられる貴顕の方々への紹介状を書いてもらうことでした。すでにオランダやフランス宛の紹介状は、何通か、頂戴していました。
――旅程はどういう風にお決めになられたのですか。
レオポルト これがなかなか難しくて、効率よくやらないと出費も大きくなるし、さりとて、紹介していただいた先方様の日程もありますから、紹介状と地図をにらめっこしながら、さらに旅の安全も考えて、旅程を組みました。でも最初から、帰郷まで詳細に決めたわけではありません。とりあえず、フランスまでは、足を延ばそうと漠然と考えてはいましたが。でも、まずは、馴染みの町からスタートするのがいいだろうと思いました。
――それで、旅の初めは、一度行っているミュンヘンになったのですね。
レオポルト はい。家族4人と、従僕のヴィンターを伴っての5人旅です。馬車はウィーン旅行中に手に入れたもので、出発初日、出だしは快適でしたが、途中で馬車の車輪がひとつ、バラバラに砕けて往生しました。今となっては懐かしい思い出ですが、当時は旅の困難を象徴するような出来事で、前途に大変な不安を持ちました。ただ、ミュンヘンに着いてからは、事前に手に入れた紹介状のお陰で、各地で歓迎していただき、バイエルン選帝侯の宮廷にも伺候できましたし、お知り合いのクレメンス公から、プファルツ選帝侯カール・テオドール様に宛てた紹介状を書いていただきました。これがあれば、マンハイムまで足を延ばすことができます。本当に幸運でした。離宮への伺候ではヴォルフガングはクラヴィーアとヴァイオリンの両方を披露し、まさに一人舞台でした。
――では、次回は、ミュンヘンの次の目的地、アウグスブルクでの様子をお話しいただけますか。
モーツァルト・バー「キール」
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