「ステージパパ、レオポルトの本音」父親の急死(2)
――レオポルトさんは、1737年、18歳の時に、アウグスブルクからザルツブルクに出てこられて、ベネディクト派の大学に入学されていますね。どういう経緯か、お話しいただけますか。
レオポルト はい。私がちょうど16歳になろうとしていた頃、父親が急死しまして、一家は働き頭を失ってしまいました。私は、それまでいた学校を辞めざるを得ませんでした。もちろん、家業を継ぐには、私が製本業の見習いの徒弟として働くのが一番自然だったのですが、私は家業を引き継ぐ候補から外されました。徒弟として他の親方の世話になるには、当時の基準では、歳をとりすぎていたわけです。そこで、下の弟たちが徒弟に出され、私は得意のヴァイオリンやらで、身銭を稼いでは、家に入れました。とりあえず、家計のやりくりに、母親も必死、子供たちも必死でした。そんなこんなの状況でしたが、私には、こういう逼塞(ひっそく)した生活に対する嫌悪感がいや増しに増してきたのです。母親とはもともとあまり相性が良くなかったので、母親は私の働きぶりにいつも不満を感じていました。そこで私は、ひそかにお世話になっている神父に、学業に復帰できないか、相談に行ったのです。
――では、その交渉がうまく行ったのですね。
レオポルト はい。ある意味では大成功でした。神父の働きかけのおかげで、復学に向けて道は大いに開いたのですが、ここで大きな壁にぶち当たりました。
――お母さまですか。
レオポルト はい。母親です。頑固で古い考え方の母親が猛反対したのです。すったもんだの末、私の大学進学が決まりましたが、母親からは「大学に行くなら縁を切る」と言われ、仕方なく私はその覚悟を決めました。家族の温かい声援を受けて、ザルツブルクに旅立ったのではありません。母親の怒りを無視して飛び出した、といった方が、真実に近いでしょう。私は、万が一、ザルツブルクで失敗でもしたら、二度と故郷に帰ることはできないな、と直感的に思いました。
――そうですか、それは大変なプレッシャーですね。では次回は、ザルツブルクに行かれてからの生活ぶりを聞かせてください。(基礎資料 石井宏著『レオポルトの青春』)






