関西人になったモーツァルト なにしろこれ、僕の白鳥の歌ですねん(51)
モーツァルト最後の年がやってきた。手紙はもう、バーデンで静養している妻にしか、書かない。その中に、1791年の9月頃他人が書いたのではないかと疑われている、モーツァルトの手紙がある。その年、モーツァルトは宗教音楽に活路を見出そうと、シュテファン大聖堂の無給の副楽長に就いていた。病気の楽長が死んだあとのポストを目指してのことである。だが、楽長は死ななかった。逆にモーツァルトが弱り始めた。そして、この手紙である。ロンドンに居を移した台本作家ダ・ポンテに宛てたのではないかと推測される手紙は、暗い。「(ロンドン招へいの)お勧めに従いたいのは山々なんですが、どうしたらそーできるかわからへんのですわ。頭は混乱、気力もつきてしもーた。例の見知らぬ男の姿が眼の前から追い払えなくて。懇願するわ、催促するわ、じりじりあせって、僕の仕事を急き立てるんで、彼の姿が絶えず目に入ってきて、もう、たまりまへん。僕も、作曲しているほーが、休息してるより楽なんで、仕事を続けているんですわ。いや、それだけやのーて、僕はもう、なんも、気つかいとーないんですわ。ときどき、これって、もしや自分の終わりの鐘がなっているんかいなあと、ふっと思われたりして。もう息も絶え絶え、自分の才能をエンジョイする前に、死んでしまうんかなあ。そやけど、生きることはほんま、美しいことやったし、僕は才能に恵まれて生まれたから、将来は約束されたようなもんでしたわ。そやけど、事実はこれ。自分の運命を勝手に変えるわけにいきまへん。誰も自分がいつ死ぬかなんてわからへんから、ただただ諦めるしかおまへん。何事も神様の思われる通りしか起こらへんし。筆をおきますわ。なにしろこれ、僕の白鳥の歌ですねん。何としても完成せなあきまへんのや」壮絶、未完に終わるレクイエムの予告である。






