県政NOW 猪が大御神の使い「馬見岡綿向神社」
馬見岡綿向神社の御由緒を見ますと、「起こりは神武天皇の御代、近江日野の東方に気高くそびえる綿向山に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始まり」と伝えます。
さらに中世以降は「鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生一族は氏神として当社を尊び庇護し、更に江戸時代全国に名をはせた近江商人の中の日野商人達の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められた。明治9年郷社、同42年県社に列せられ、そして今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。その始めを嘉応2年(1170)とする春季例大祭(5月3日)は日野祭と称し、3人の神稚児や3社の神輿、16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形民俗文化財に指定されている」とあります。そして猪が綿向大神の神使いといわれ、その由来は「猪との関係は御鎮座の由来にさかのぼる。社伝によるとおおよそ1500年前の欽明天皇6年(545年)、蒲生の豪族であった蒲生稲置三麿と山部連羽咋が綿向山に猟に来ていた時、一天にわかに掻き曇り、5月というのに大雪となった。二人は岩陰で雪の止むのを待ち、外に出て見ると大きな猪の足跡を見つけたという。夢中になって足跡を追いかけ、何時しか頂上へと導かれ、そこに白髪の老人が現れ『私は古くに出雲の国よりこの山に来ているが、誰も気付かずにいる。この山の頂に祠を建てて私を祀れ』と言って消えたという。二人は早速このことを時の朝廷に奏聞し、この綿向山の神様の御託宣に従い祠を建て、四季のお祭りを勤めた」とあります。この謂われにより、猪は綿向大神の神使いといわれ、御社殿や神輿、石灯籠などの装飾としても使われています。調べて見ますと滋賀県には猪にまつわる神社が四社ほどでした。来年の干支は「亥」。京阪神からの恵方(歳徳神のある吉方向)が滋賀県に向いており、県外からも参拝客が期待されます。当神社は本祭に3万人を超える観光客が来られ観光客に対応した施設の整った神社であります。当り年の方々はもちろんの事、この機会に日野の自然と文化、歴史に触れて見てください。







