県庁に脈々と続く“無私の志”編集主幹 石川 政実
新年度がスタートした。三日月大造知事は3日、県庁で新規採用された県職員153人を前にして、人口減少時代を見据えた行政対応を求めたのを新入職員らは緊張した面持ちで聞いていた。
フレッシュな彼らはかつて“ミスター県庁”と呼ばれた人物がいたことを知る由もないだろう。その人物とは、この1月30日に85歳で逝去した山田新二元副知事である。同氏は、武村正義氏、故・稲葉稔氏、国松善次氏など歴代の知事に仕え、稲葉県政の1988年から国松県政の2003年まで、実に14年8か月にわたり副知事を務めた。
武村氏は「山田さんが財政課長の時はだれよりもキラリと目立っていた」と振り返る。武村氏の目に留まるだけあって、眼光鋭く、いざとなれば腹をくくる凄みがあった。
「歩くのも、食事をするのも、仕事も早かった。唯一の弱点はカラオケが苦手なことで、よく代わりに歌わされた」と苦笑するのは、1991~1994年度までの4年間、山田元副知事の秘書として仕えた西嶋栄治副知事。
山田氏が旧浅井町(長浜市)、西嶋氏が旧湖北町(同)と二人とも湖北地域の出身で、同じく虎姫高校卒業生でもあり先輩、後輩の間柄だった。
「最近、廊下を歩いていて暗い顔をしている者はおらんか」と山田氏は西嶋氏に問うのが口癖だったという。そんな職員がいると聞くや、すぐに副知事室に呼んで悩みを共にした。それだけに職員の信頼は厚かった。
だが筆者にとっては稲葉氏と山田氏の寡黙(かもく)な二人だけは大の苦手だった。取材をしても会話が途切れがちで間が持たず、冷や汗の連続だったからだ。
しかし、そんな様子を楽しみながらニコッと話し出す二人には、どこか憎めない茶目っ気があった。
「山田さんは確かに仕事には厳しかったが、実際は“情”の人で、若い職員を育てることに力を注いだ。県民はもちろんのこと、知事や部下を守るためには、どんな困難があっても決して逃げなかった。いつまでも山田さんは私の目標」と西嶋氏は懐かしむ。
新入職員の皆さんには、山田氏の“無私の志”が県庁の地下水脈に脈々と引き継がれているのをたどるのも面白いかもしれない。






