嘉田氏3選不出馬の心象風景<上>
「嘉田由紀子知事(63)に三選出馬を要請する“勝手連”は解散しました」。栗東市のRD旧産業廃棄物最終処分場問題で県の処理方法が不十分として厳しく対立してきた高谷順子氏(73)は十日、メールで仲間に通知した。
「自民党が原発再稼働を推進する経済産業省から担ぎ出した小鑓(こやり)隆史氏(47)に勝つには、ケンカをしてきた嘉田さんしかいない」と先月二十三日に勝手連を立ち上げ、今月六日まで嘉田知事に出馬要請のメールを送り続ける運動を展開した。
高谷氏は「運動を進める中で、嘉田さんは心の深いところで傷ついていることに気づいたが、冷え切った心に火をつけることはできなかった」と唇をかむ。
ついに七日、嘉田知事は三選不出馬を表明した。
深まる寂寥感
嘉田知事がカラオケで歌うオハコの一つが、八代亜紀の「舟唄」だ。
阿久悠の作詞だけに、演歌の湿った“未練”を振り払う力強さがある。
嘉田知事も過去、幾度も挫折を味わってきた。
その一つが、平成二十年五月、三十五年連れ添った夫、嘉田良平氏との離婚だった。研究者である良平氏には、政治に関わるべきでないとの思いが強く、十八年の知事選出馬以前から二人の溝は深まっていた。
「知事選挙に出ることを決意した時点から、私は大好きな滋賀県、琵琶湖と結婚する覚悟だった」と気丈な離婚会見を行った。しかし、離婚後も愛着のある嘉田姓を名乗り続けている。
もう一つの大きな挫折は、一昨年十一月に小沢一郎衆院議員とともに「日本未来の党」を結成し、党首として十二月の衆院選に挑み惨敗したことである。
新党結成は二十三年三月十一日に発生の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故を目の当たりにし、琵琶湖を守るには「卒原発」を掲げ国政に参画しなければとの思いに駆られたからだ。
嘉田知事は昨年一月十三日、大津市であった後援会の新年会で、未来の党結党について、小沢氏から「あなたが出てくれたら(衆院選で候補者が)百人通ると説得されて決断したが、後から思えば信じるべきではなかった」と無念さをにじませた。
しかし嘉田知事にとってショックだったのは、衆院選の惨敗よりも、むしろ未来の党の党首と知事の「二足のわらじ」に対し、県民からの反発が想像以上に強かったことだった。このトラウマ(心的外傷)は、党首を辞職後も決して癒えることはなかった。
「本当に県民は私を必要としているのだろうか」。先月二十五日の本紙取材でも寂寥感(せきりょうかん)を漂わせた。
(石川政実)







