安土城が焼けて廃城は誤解
新刊「江戸全170城 最期の運命―幕末・維新の動乱で消えた城、残った城」(定価九百二十六円+税)が、イースト・プレス(東京都)から出版された。著者は、県出身の評論家で、大ベストセラー「江戸三〇〇藩 最後の藩主」などがある八幡和郎氏。
維新の舞台となった鹿児島城はなぜ残らなかったのか、桑名城の破壊は本当に「懲罰」だったのか、弘前城は、なぜ官軍側だったのに県庁所在地になれなかったのか…など、全百七十城にまつわるエピソードが満載。
滋賀県については、安土城が本能寺の変で焼けて廃城になったというのは誤解で、信長の孫・三法師丸の居城として再建され、その後、この地の領主になった豊臣秀次が八幡城へ移したため廃城になったことや、昭和になって天主閣の再建計画を実際は西武グループ総帥・堤康次郎や武村正義知事(当時)が志したことが紹介されている。
また、大政奉還後、新政府に従った幕府譜代筆頭・井伊家の居城である彦根城は、明治になって多くの部分が破壊されたが、明治十一年の明治天皇巡幸を機に保存が決定された。誰が意見したかは諸説あるが、随行していた大隈重信や天皇の従妹にあたる住持摂専夫人のかね子といわれる。
一方、同じ譜代でも、逆の運命をたどった本多家の居城・膳所城も紹介している。同藩は、鳥羽伏見の戦いで新政府軍につき、幕府援軍が来るのを瀬田の唐橋で防いだ。膳所城は明治になって率先して破壊された。石垣は鉄道敷設に、城門は膳所神社など各所に移設された。







