衆議院議員 武藤 貴也
私は前回、「脱原発論」が抱える問題点を述べた。一つ目に、太陽光、水力、風力、地熱どれも原発に代わるだけのエネルギーにはならないという点。また二つ目として「日本の原発すべてが危うい」ように言われるがそうではないという点を紹介した。(福島原発1~4号機は米国製の古い型で、地震と津波に耐えた女川原発はもっと新型であること、そして世界で最も安全な原発技術は「日本の東芝」が有するものであること)今回は更に話をすすめ「脱原発論」の抱える残り2つの問題点を指摘したい。
まずは、国家安全保障上の問題である。他国資源に依存することは国家安全保障上好ましくない。1941年の日米開戦のきっかけは、欧米列強の「ガソリンの対日禁輸」であった。1941年当時、日本軍石油備蓄量は約2年分。石油が枯渇すると戦争を継続できなくなるため、軍部強硬派は「即時開戦論」の激しい反応を示すようになり、戦争に突入していった。
最後の問題点は、周辺諸国の原発開発である。これは日本のみが「脱原発」をしたとしても、放射能飛散の観点から全く無意味だということを意味する。なぜならば、中国や韓国が既に日本に面する海沿いに数多くの原発を建設しているからだ。これらが事故を起こせば、仮に日本に原発が無くても、他国発の放射能が黄砂のように降り注ぐ。評論家の屋山太郎氏は「ドイツ、イタリア、スイスは福島の事故を見て脱原発を決めたが、実はフランスの原発の電力を買っている。フランス人は笑っていた。原発は危険だから造らないとドイツ人は言っているが、われわれの原発はドイツ国境近くに並んでいる。原発さえなければ安全だと思うのは、ダチョウの平和だ、と」。ダチョウは危険を感じると砂の中に頭を突っ込み、敵を見まいとする。しかし危険は去っていない。日本の「脱原発論」も全く同様である。
確かに「原子力ムラ」といわれる巨大な癒着構造の問題はある。それはそれで正していかなければならない。しかしだからと言って原発そのものを否定することは自分の首を自分で締めるようなものだ。結論として、我々は原発をどうすべきか。まさに「ダチョウの平和論」を抜け出し、日本の技術力を結集して、世界最高の原子炉を開発することこそ日本が進むべき道だと私は思う。地震にも津波にも耐え、事故も起きない炉をつくり、世界の原子炉を日本製にすることを目指すべきだ。






