評価高まる絵師・高田敬輔の作
◇全県
滋賀県教育委員会は県文化財保護審議会の答申を受けて、平成二十一年度の県指定文化財に江戸時代に「赤玉神教丸」を製造販売した薬店・有川家住宅(彦根市)など十二件を指定した。新指定で県指定文化財全体の件数は四百六十三件となった。
今回県指定を受けたのは、有川家住宅のほか、三尾神社本殿(大津市)、絹本着色熊野曼陀羅図(錦織寺、野洲市)、紙本着色八相涅槃図(浄光寺、日野町)、木造僧形神坐像(本隆寺、彦根市)、銅鐘(下新川神社、守山市)、西河原遺跡群出土木簡六十四点(県立安土城考古博物館)、西河原遺跡群出土木簡三十一点(野洲市歴史民俗博物館)、里内文庫資料(栗東歴史民俗博物館)、植遺跡(甲賀市)、禾津(あわづ)頓宮跡(甲賀市)、有川氏庭園(彦根市)。
なお、新指定を受けた文化財の概要は次の通り。
【三尾神社本殿】三間社流造で応永三十三年(一四二六年)の建立。妻飾りは豕扠首組(いのこさすぐみ)の伝統的な形式を踏襲し、正面に前室がなく、組物に舟肘木を用いるなど装飾の少ない簡素。
【有川家住宅】敷地内には、主屋、書院、薬医門、粉挽蔵、文蔵庫、北西には大蔵が建ち、建築時の様式をよく残している。
主屋は宝歴九年(一七五九年)の建築。屋根は町家には珍しい入母屋造に破風を二重に取り付けるなど、一般の町家とは一線を画す建築である。
【有川氏庭園】宝歴十二年(一七六二年)の完成と考えられ、限られた空間内で工夫された作庭。例えば、主屋座敷前の池は水面が低く、座敷から見下ろすことで立体感を表現し、背後に湖北の山々が望めるなど優れた景をなす。
【絹本着色熊野曼陀羅図(錦織寺)】熊野曼陀羅図は熊野信仰を背景に成立した礼拝画で、熊野三山(本宮、新宮、那智)の諸神を描いたもので、錦織寺のそれは十三世紀末期から十四世紀初頭に描かれた現存最古の作例。
【紙本着色八相涅槃図(浄光寺)】八相涅槃図とは仏伝図の一種で、涅槃図の釈迦を中心に、生涯の主要な事績「誕生」「出家」など七つを描いたもの。浄光寺の涅槃図(江戸時代)は、日野町出身の絵師・高田敬輔(一六七四~一七五五年)によるもので、ナマズ、コイなどの淡水魚も描かれオリジナルとして興味深い。
【木造僧形神坐像(本隆寺)】平安時代の制作。木造、一木造り。小像ながら奥行きのある体躯をもち、厚い両足部を備えた安定感に富んだ姿は、神像にふさわしい風格が漂う。
【銅鐘(下新川神社)】室町時代応永二十六年(一四一九年)の鋳造。和鐘と朝鮮鐘の双方の要素を備える「和韓混交鐘」で、これまで現存最古とされていた応仁三年(一四六九年)銘銅鐘をさらに半世紀さかのぼる現存最古の作例。
【西河原遺跡群出土木簡六十四点】七~八世紀のものと推定される。天武、持統、文武朝の年号に相当するもので、木簡の八世紀にあたる七世紀の最古級史料群といえる。内容は、のちの出稲(すいこ)制度につながる貸稲についての記録がまとまっている。
【西河原遺跡群出土木簡三十一点】「衣知評平留五十戸(えちのこおりへるのさと)」に置き去りにした稲を、「舟人」を率いて運搬するよう指示した長文の木簡など人名を列挙した人名録など公文書が多く、地方役所としての西河原遺跡群の性格や古代の地域史を解明するうえで貴重。
【里内文庫資料(栗東市)】明治四十三年~昭和二十一年、現在の栗東市手原で運営された私立図書館。所蔵資料は多岐にわたり、古文書、古典籍、絵図、浮世絵版画、碑文拓本など近江の地方史料の豊富なことが特徴。
【植遺跡(甲賀市水口町)】五世紀の三棟の大型倉庫建物は床面積が四十九~六十七平方メートルあり、通常の倉庫建物の二~三倍の規模となっており、大和王権直属、あるいは王権を構成する有力な首長層が営んだと考えられる。
【禾津頓宮跡】聖武天皇の東国行宮に際して営まれたもので、仮設建物という先入観を覆す本格的な大型建物だった。直径四十センチ以上の柱が整然と並べられ、宮都関連遺跡の中心建物などの構造と一致する。






