【滋賀2区 (彦根市、長浜市、米原市、東近江市2区、愛知郡、犬上郡、東浅井郡、伊香郡)】
●ふるさと党首宣言
衆議院が解散された翌日の先月二十二日、長浜市高山町(旧浅井町)にある故・草野一郎平元衆院議員(自民)の碑に向かって深々と頭を下げる男がいた。湖北が生んだ英雄の碑に「湖東・湖北の“ふるさと党首”として身命を捧げます」と誓ったのは、東浅井郡虎姫町生まれの自民前職・藤井勇治だった。
古賀誠・党本部選対本部長代理(衆院議員)などの秘書を約二十五年間務めた藤井は平成十七年、郵政民営化に反旗を翻した無所属元職・小西理の「刺客」として急きょ担がれ、比例復活で当選する。 当選後は、保守分裂の修復に努める一方、愛荘町へのスマートインターチェンジ誘致など、地元のさまざまな基盤整備に 力を注いでいる。
獅山向洋・彦根市長は「市議らが藤井さんに陳情に行ったら、一日に三人の大臣に会えたと驚いていた。秘書時代を通じて養った政官の豊富な人脈を持つ藤井さんは絶対に落とせない。田島さんとともに残ってほしい」と願う。藤井は「政策を論じる論客よりも、政策を実現する職人でありたい」が信条だが、それは田島へのアンチテーゼでもある。
●武村後継者の自負
「細川連立政権の失敗から、政権を獲るには、相当の覚悟と決意がいることを学んだ」と民主前職の田島は、当時を振り返る。
平成五年八月九日、日本新党(細川護煕代表)・新党さきがけ(武村正義代表)、社会党、新生党など八党会派の連立による細川内閣が誕生し、自民党は野党に転落。しかし九か月の短命政権で終わる。
彦根人のハイカラ気質が身に染みた田島は、高校生のときに武村(当時知事)の門をたたき、平成三年、市議選に初当選。市議を二期務めて、十一年に県議選に出て初当選。
転機は十三年の衆院補欠選だった。武村が体調を崩し出馬を辞退したため、田島は後継者指名を受けて出馬するが、自民の 小西に大差で破れる。この悔しさをバネに十五年、十七年の総選挙で小西を連破し雪辱をはたす。
「地方分権、環境問題など、さきがけの理念は十年早かった。さきがけが描いた国家像が政権交代でいよいよ花開く」と武者震いする。「小西さんと最終決着をつけたかった」と、“藤井眼中になし”の自負がのぞく。
●街宣で知名度アップ
幸福実現党の新人・池田信隆は、知名度アップを狙い街頭宣伝を重点的に繰り広げてきた。「党名から連想してか、女子高校生など若者の間で幸福党の宣伝カーに手を振ると幸せになれるという迷信がインターネットで広がっている。何が幸いするか分からない」と末吉秀聡・選対本部長は苦笑する。(文中敬称略)【石川政実、高山周治】
8万5千票固い田島
猛追の藤井、比例復活の公算大か
表は、両陣営の選挙通に浮動票を除いた固い票読みをしてもらい、それを平均化し修正を加えたもの。藤井はこの四年間、弱点の彦根市に集中的に入ったが、今回の逆風と田島の堅い守りで、現時点では田島とは約一万票の差がついている。長浜市は、市町合併の影響で保守が割れ、藤井は田島に四千票しか差をつけられない。米原市は、ほぼ互角。愛知郡、犬上郡、東近江市も、ほぼ互角の戦い。
伊香郡は、小西とのしこりが残り、藤井は思うように票を伸ばせず、逆に田島が攻勢。東浅井郡は藤井がほぼ固めた。合計では、田島が約七万五千票、藤井が約七万二千票。
しかし田島は、ここに共産の約一万票のうち約三割の三千票や、浮動票など「一万票」を上乗せできる。「政権交代」の嵐が吹き荒れれば、「二万票」が乗る。 逆に藤井は、彦根市の差を五千票以内に縮め、長浜市をまとめれば一万票近くを田島から引き剥がして上乗せでき、最悪でも比例復活の可能性が高くなる。出遅れた幸福の池田は、六千票前後か。







