中央政界特報

■平成30年5月10日(木) 第5358号

「政治特報」

 「ポスト安倍」の動きが激しくなってきている。だが、3選を目指す安倍晋三首相には自信が。「選挙に強い」ことからきている。

 4月22日に投開票された沖縄県沖縄市長選は現職の桑江朝千夫氏が再選。
 安倍政権と翁長雄志知事の「代理戦争」とも言われていたが、得票数には1万5000票余の開きがあった。
 2月の名護市長選、3月の石垣市長選も与党系候補が勝利。
 支持率が急落しており、選挙前の自民党の危機感は強かった。
 人気の小泉進次郎筆頭副幹事長も沖縄市入りして街頭に立ったほど。
 首相の「強さ」をあらわすものが解散。首相だけが持っている専権事項で「伝家の宝刀」といった呼ばれ方がされている。
 「解散できるということは、政権に力がある証拠」(永田町筋)
 歴代首相の中には「伝家の宝刀」を抜くことができなかった首相が多い。
 三木武夫首相は閣僚の反発もあって解散権を封じられてしまった。
 福田赳夫首相も解散を目指しながらできないまま、大平正芳氏に政権の座を奪われている。
 100人を越す大派閥を擁しながら竹下登首相も解散権を一度も行使することなく終わっている。
 「伝家の宝刀」を多く抜いた首相はそれだけ長期政権になっている。
 一番多く解散したのは政権在任2616日の吉田茂首相で4度。ついで池田勇人首相、佐藤栄作首相、大平正芳首相、中曽根康弘首相の2度。
 政権担当時「絶対的な強さ」を誇示した田中角栄首相は72年11月13日に「日中解散」を1度しただけ。
 12年12月26日に政権の座に復帰した安倍首相は4度の選挙を戦ってきている。
 13年7月に参院選、14年12月に衆院選、16年7月に参院選、17年10月に衆院選。
 この4度とも圧勝だ。2度の衆院選はいずれも「解散」による選挙。14年の選挙は自民党、公明党で326議席獲得。
 17年10月の選挙でも自民党、公明党で定数の3分の2を維持。
 このときは7月の東京都議選で小池百合子知事の「都民ファーストの会」の前に惨敗、稲田朋美防衛相の辞任もあり、安倍政権への逆風は強かった。
 支持率も落ち込んだ。それでも圧勝している。
 「選挙に強い首相」の実証だ。
 「ポスト安倍」をめぐり、水面下、水面上で激しく動いている石破茂前地方創生相。
 安倍首相に対する「批判」もストレートになっている。
 岸田文雄政調会長の動きも活発になっている。
 野田聖子総務相も政治塾を立ち上げるなどの動きを。
 それでも安倍首相は強気の姿勢を崩していない。

「桜を見る会」

 4月21日、東京・新宿御苑で開かれた毎年恒例の「桜を見る会」。
 皇族、各国駐日大使、それに文化、経済、スポーツ、芸能各界から約1万7500人が招待され、華やかさいっぱい。
 今年は桜の開花が早く、桜というより「若葉を見る会」のおもむき。
 招待客を前に、昭恵夫人をともなった安倍晋三首相は上機嫌だった。
 梅沢富美男さん、ピコ太郎さん、平昌オリンピック、メダリストのスピードスケート女子高木美帆選手らとの記念撮影では笑顔満開。
 今年で安倍首相による「桜を見る会」は政権に復帰してから5回目になる。
 国会は大揺れになっている。その原因のさまざまな疑惑を「うみを出しきる」と、大花見会で改めて謝罪を。
 来年も、そのさきも安倍首相は「桜を見る会」を主催できるか。
 この日、招待客の中には時事ネタのコント集団、ザ・ニュースペーパーの顔も。
 福本ヒデさんは安倍首相のすぐ後ろで記念撮影におさまっている。
 安倍首相の動作の研究ということも意識の中にあるのか。
 その福本ヒデさんはここにきて、石破茂前地方創生相の目つき、しゃべり方を練習しているという。
 「長く安倍首相を持ちネタにしてましたが、これからはどうなるか」
 かくして石破氏のしぐさをネタに。
 フロリダに飛び、米トランプ大統領との首脳会談をしてきた安倍首相は、渡米前にくらべると明らかに元気に。
 注目されていた沖縄県沖縄市長選も支持した候補が再選。後は解散か。

「7カ月で消滅」

 希望の党は1年ももたなかった。
 4月24日、民進党と希望の党は基本政策で合意し、「国民民主党」として合体。
 新党に踏み出したことに希望の党、玉木雄一郎代表は「ゼロからのスタート」と。
 小池百合子東京都知事によって「希望の党」とネーミングされて旗揚げされたのは17年9月。
 新党旗揚げに小池都知事は高揚していた。
 「政権を取る」と言い、「ガラスの天井」を破り、自らが政権の座に就くことに強い意欲をみせ、それは自信満々だった。
 それが1年もたずして「希望の党」が消えてしまうとは。
 この日をもって小池都知事が希望の党特別顧問から正式に外れてしまった。
 希望の党は小池都知事とは無関係のものに。
 「改革を引き続き進めてもらいたい」
 そう玉木氏に注文をつけているが、本音も口にしている。
 「また元のさやにもどるというのは、なかなか理解されにくいのでは」
 理解されていないことは希望の党、民進党の議員の間でも。
 それを表わすように「国民民主党」に合流したのは当初の予想よりも少ない。
 それも民進党の岡田克也元代表、安住淳元代表代行、希望の党の細野豪志氏といった実力者は参加を拒否している。
 立憲民主党にとって代わって野党第1党を目指していたのだが。
 合流しなかった長島昭久氏、松沢成文氏らは「新希望の党」を立ち上げた。果たして「国民民主党」はどこまで国民の支持を得られるか。

「やはり欲しい専用機」

 河野太郎外相のスケジュールはハードだ。
 4月23日、カナダ・トロントにいたかと思うと、24日には大西洋を飛び越えスイスのジュネーブに。
 トロントでは主要7カ国(G7)外相会合に出席。
 ジュネーブでは核不拡散条約(NPT)再検討会議に。
 4月30日にはヨルダンの首都アンマンで米国ポンペオ国務長官と会談している。
 安倍晋三首相が外国を訪問するときは政府専用機で。
 米トランプ大統領との首脳会談のために4月17日に太平洋を渡ったときは羽田空港から米国フロリダ州パームビーチ国際空港にダイレクトに。
 帰国した19日には羽田に着くや、その足で「ザ・プリンスパークタワー東京」「ニューオータニ」「アンダーズ東京」と3つのホテルをはしごし、会合に出席しているのも、専用機ならでは。
 4月29日にはやはり政府専用機で中東訪問に。
 外相には政府専用機はない。
 民間航空を乗り継いでいく。
 河野外相は63年生まれ。年齢的にまだ若く、体力には自信を持っている。
 だが、ハードなスケジュールに疲労の色がその顔に浮かぶことも。
 「専用機があれば」
 昨年暮れ、こんなことをもらしていた。
 「専用機が使えれば訪問国を増やすことができる」
 自らが外相のポストに坐ったことで、足の不便さを痛感。
 民間機だとハブ空港に寄ってからでないと訪問しにくい国があるのは事実。

「一人行く」

 細野豪志氏は永田町を一人行く。
 希望の党と民進党が合流し「国民民主党」に。
 細野氏は新党に参加せず孤独の立場を選んだ。
 昨年、小池百合子東京都知事が「希望の党」をたちあげたとき、まっさきに細野氏は加わっている。
 民進党の幹部で、自前の派閥も持っていた。
 それを投げ捨て、希望の党の土台づくりに。
 それが希望の党は1年もたずして消滅。
 「民進党をいち早く飛び出したところで、孤立していたが、希望の党がなくなったことでさらに立ち位置がなくなった」(永田町筋)
 1971年、京都生まれ。京都大学を卒業し政治の世界に足を踏み入れたのは2000年の衆院選に初当選してから。
 地縁・血縁のない静岡5区から出馬している。
 民主党、民進党時代は常に日の当たる道を歩いている。
 京大の先輩、前原誠司氏、小沢一郎氏などから評価されてきている。
 民主党政権時代には原発担当相、環境相などを歴任。
 政調会長、幹事長といった党執行部のポストにも就いていた。
 14年の民主党代表選にも出馬。
 民主党が参院選で惨敗したとき、「誰も責任をとらないのはあり得ない」と幹事長を辞任したときは「細野株」は上がったのだが。
 「国民民主党」に加わらず、一人行く道を選んでの最初の行動は、国会審議への出席。
 4月27日の衆院本会議に野党6党が審議を拒否して欠席する中に出席。
 明らかに野党6党への造反だ。これから先の道はどんな道になるか。

「花形の国対委員長」

 国会が紛糾している。野党による国会審議拒否。与党による強行審議。
 連日のように報道されるこの繰り返し。
 そのたびに、いま最もテレビ画面に出てくるのが国会対策委員長。
 自民党の森山裕国対委員長と野党第1党、立憲民主党の辻元清美国対委員長。
 それこそ両氏がテレビのニュースに出ない日はない。
 国会対策委員長はもともとは舞台裏が活動の場だ。過去の国対委員長をみても、それこそ「黒子」に徹しきっている。
 だが、いまはまったく違う。
 党執行部の中で一番表舞台に登場する花形になっている。
 際立つのは辻元氏。政府、自民党を激しく批判。立憲民主党の枝野幸男代表よりも目立っている。
 歴代の国対委員長で「名勝負」を展開してきたのは大島理森氏と民主党時代の山岡賢次氏。
 それは激しい応酬で、国会の名物に。
 国会対策委員長の仕事は「段取り」をつけること。
 国会での審議の順番、採決の時期などを話し合い、自分の党に優位にという交渉人。
 各党とも実力者が務めてきている。
 自民党では金丸信氏、梶山静六氏、そしていまの自民党の実権を握っている二階俊博幹事長も国対委員長だった。
 今国会は6月20日が会期末。
 すっかり硬直状態に陥ってしまっており、法案審議は大幅に遅れている。
 カジノを含む統合型リゾート(IR)整備法案の今国会での成立は見通せなくなっている。
 森山氏と辻元氏のバトルは続く。

「なんだったのか」

 「これまでの20年間はなんだったのか」
 そうボソッともらした岡田克也氏。
 希望の党と民進党が統合して新党「国民民主党」を結成。
 新党に参加する議員に背を向けるように「不参加」の議員も。
 民進党系の衆院会派「無所属の会」に所属している岡田氏も仲間に別れを告げた。
 「これまでの20年は何だったのか」がもれたのは正式に不参加を表明した4月27日の記者会見。
 「山を登るための道が違う」
 1990年の衆院選で自民党の国会議員に。その後、自民党を離れ、98年に旧民主党に参加。
 以来、つねに表舞台で活躍。
 「変人」「タリバン」と揶揄されながら、リーダーシップを発揮してきている。民主党代表には2度就任。
 進む道が激しく動いたのは代表の座を蓮舫氏に譲ってから。
 蓮舫氏は1年もたずして退陣。前原誠司氏が代表に返り咲いたことで、状況は一転してしまった。
 民進党は希望の党、民進党、立憲民主党に3分裂。そして、いま民進党と希望の党が統合して「国民民主党」に。
 岡田氏の立ち位置は激変だ。
 民主党政権では鳩山由紀夫氏、菅直人氏、野田佳彦氏が首相になったが、岡田氏は代表にはなったものの、政権の座には就けないままできている。
 あらためて「この20年は一体何だったのか。残念としかいいようがない」と。
 今後は「国民民主党と立憲民主党の橋渡し役をする」と自らに言い聞かせているが。