中央政界特報

■平成30年3月8日(木) 第5349号

「政治特報」

 平昌冬季五輪で日本が獲得したメダルは13個。安倍晋三首相は上機嫌。東京五輪を「首相」として迎えることができるか。

 メダルラッシュだった。金メダル4個、銀メダル5個、銅メダル4個。
 最後を締めたのは新種目、スピードスケートのマススタートの高木菜那選手、そして女子カーリング。
 予算委員会で野党の厳しい追及にあっている中、金メダルを手にした小平選手などに、「祝福」の電話も入れている。
 東京五輪まであますところ2年3カ月余。迫ってきている。
 安倍首相のオリンピックへの思い入れは強い。
 リオデジャネイロでのIOC(国際オリンピック委員会)総会に出席、自らプレゼンテーションを行っている。
 リオ五輪の閉会式には、世界中を「あっ」と驚かせるマリオの姿で登場。
 「おもてなし」をアピール。
 1964年の東京五輪を招致したのは祖父の岸信介元首相。72年の札幌五輪招致は大叔父の佐藤栄作元首相。
 「オリンピックを呼び込む」ことに強い家系を安倍首相は守っている。
2017年の来日外国人は5年連続で過去最高を更新。2800万人余。これを東京五輪の年には4000万人超の数字を掲げている。
 これは施政方針演説の中でも強調。
 「全力を尽くしてまいります」
 自らが首相として東京五輪を迎える。
 そのためには9月の総裁選をものにするかにかかっている。
 これまで安倍首相は総裁選に漣勝している。
 1度目は2006年9月20日。
 安倍氏、麻生太郎氏、谷垣禎一氏の3人が立候補し、安倍氏が議員票67、党員票197の計264票。麻生氏の議員票69、党員票67の136票、谷垣氏の議員票66、党員票36の102票を押さえて選出された。
 2度目は12年9月26日。安倍氏、石破茂氏、町村信孝氏、石原伸晃氏、林芳正氏が出馬し、決選投票で安倍氏が議員票108、石破氏が議員票89票で安倍氏が勝利。
 3度目は15年9月8日、無投票で選出されている。
 このとき、野田聖子氏が投票日ぎりぎりまで頑張ったが20人の推薦人確保にあと1人及ばずだった。
 9月の総裁選に勝てば、2021年までの政権担当が見えてくる。東京五輪を首相として迎えることができる。
 前回の東京五輪のとき安倍首相は小学4年生だった。
 これまでの総裁選とは情勢が違ってきている。
 石破氏が積極的に動いており、安倍首相の「当確」はまだ読めていない。 

「鳴りをひそめて半年」

 まったく鳴りをひそめてしまっている前原誠司前民進党代表。
 2月16日、前原氏の顔が見られた。
 政策勉強会「連合・制度推進フォーラム」の会場で。
 昨年10月の衆院選挙を境に野党第1党だった民進党は希望の党、立憲民主党、民進党と3分裂。
 「いま一度」と寄りを戻そうという声は希望の党、民進党からはあがっているが、立憲民主党は乗ってこない。
 すっかり弱体化してしまった野党。支持母体の連合そのものも、足並みに乱れが生じてきている。
 フォーラムでの講演では前原氏の希望の党への合流を「晴天へきれきだった」と言う声もきかれた。
 前原氏が「自民党から政権を奪取しよう」と希望の党との合流に走ったことから、始まった。
 前原氏自身は衆院選挙後、すぐに希望の党に入党。
 だが、以来、永田町でほとんど話題にあがらなくなってしまっている。
 いま希望の党は2分裂、さらには3分裂もありえる危機的状況になっている。
 この状況の中でも前原氏に動きはみられない。
 「本来は表舞台が好きな人」(永田町筋)と言われているのに。
 松下政経塾をへて国会議員に。
 初当選以来、その行動は常に表舞台で見られ、話題の中心だった。
 沈黙したのは偽メール問題で民主党代表の座を退いた時以来。
 あのときはまだ動きはあった。自らの派閥を軸に党内ににらみを。
 それがいまは沈黙を守り、動きも止めてしまったまま。

「元顧問は何を思う」

 2月10日、希望の党玉木雄一郎代表の姿はみちのくの福島県に見られた。
 永田町から出て足を向けた先は福島県会津若松市。
 渡部恒三元旧民主党顧問の私邸を訪ねている。
 玉木代表が訪れたのは、現状の希望の党の説明を。
 「二大政党にもどしたい」という玉木代表を渡部氏は「踏ん張り時」とゲキを。
 渡部邸には昨年、当時民進党の前原誠司代表も訪れている。
 このときの渡部氏は、地元の玩具、おきあがりこぼしを持ち出し「何度でも起き上がれ」と。
 だが、前原氏は民進党を分裂に追い込み、玉木代表もいま党分裂の危機に直面している。
 「渡部氏としてはなんとも複雑な気持ちだろう」(永田町筋)
 渡部氏は議員バッヂをつけている時、自らを「東北のケネディ」と名乗り、
「政治の世界に新しい風を吹かす」と強調していた。
 もう一つ、自認していたことがある。
 「永田町の黄門様だよ」と世直しを。
 国会議員になったのは小沢一郎氏と同じ69年の衆院選。
 厚生相、通産相、自治相、国家公安委員長などを歴任。96年から03年まで、日数にして2498日、衆議院副議長を務めている。
 自民党時代は竹下派にあって、橋本龍太郎氏、小渕恵三氏らとともに「七奉行」と呼ばれていた。その後、小沢氏とともに自民党を離党。
 「あのまま自民党にいたら、総理大臣になれていたよ」
 そう豪語している。
 いままた「黄門様」として頼りにされている。

「伸び悩み」

 伸び悩んでいる。スタートの時と、いまとでは話題のなり方もまるで違う。
 プレ金(プレミアムフライデー)のことだ。
 毎月月末の金曜日の仕事を3時で切り上げ、あとの時間は家に帰って家族サービスをしようが、飲みにでかけようが「ご自由に」というプレ金。
 アメリカで行われている「ブラックフライデー」を模したもので、音頭を取っているのは経済産業省と経団連。
 安倍晋三首相もぞっこんの前のめり。
 個人消費を増やし、それをGDP(国内総生産)につなげようという思惑が。
 スタートしたのは昨年2月24日の金曜日。
 安倍首相が自ら手本をみせた。
 午後3時過ぎに首相官邸を出て東京・谷中の全生庵に。山本有二農林水産相と座禅を。その後、上野公園の国立西洋美術館などを回り、西麻布のフランス料理店「マルゴット・エ・バッチャーレ」で食事。
 「リフレッシュするね。これはいいことだ」
 プレ金をそう礼賛したものだ。
 丸1年たった今年の2月23日の金曜日。
 安倍首相は午後には茨城県古川市の「古川桃むすめ」の表敬訪問を受け、4時過ぎには南アフリカのラマペーザ大統領と電話会談。
 6時過ぎからは首相官邸にチリのパチェレ大統領を迎えての首脳会談。
 プレ金での早退は最初だけ。
 伸び悩んでいることに世耕弘成経済産業相は「時間をかけて中小企業にも地方にも浸透させる」と強調しているのだが、どうなるか。

「天下無敵」

 首相官邸を訪れるのは各国首脳、閣僚らばかりではない。
 時には、政治とはまったく関係ない来客もある。
 「日本で一番忙しい」安倍晋三首相のスケジュールはそれこそ分刻み。
 閣僚でもほんの数分しか安倍首相に面会する時間がとれないことも。
 そんなびっしり詰まった分刻みのスケジュールの合間をぬってやってくる珍しい来客に、安倍首相の口は思わずゆるんでしまう。
 「ミスユニバース日本代表」が訪れたときには「国家機密」とまで言われている自身のゴルフのスコアをポロリともらしている。
 「美人の訪問に気をゆるしてしまったのだろう」(永田町筋)
 官邸詰め記者にはガンとして固く口を閉じていたのに。
 2月23日、首相官邸を訪れたのは茨城県古川市の「古川桃むすめ」。
 桃の花束を安倍首相に贈っている。
 このときの安倍首相の嬉しそうな顔。衆院予算委員会で野党の激しい質問にあっているときとはまったく違う顔だ。
 桃の花言葉は「天下無敵」。
 やさしいふっくらとした女性らしい花だが、花言葉には強さがあふれている。
 安倍首相はさっそくこの花言葉を引用。
 「我々は天下無敵ではない。丁寧に行う」
 昨年10月の衆院選挙でも大勝し「1強」を堅持しているが、ここにきて「1強」への風当たり強くなってきている。
 世論調査の中には安倍内閣、そして自民党の支持率が落ち込んできているものが。
 桃の花の花言葉を自身へのゲキに。

「10メートルの距離」

 衆院予算委員会。「憲法改正」「裁量労働制」、さらには東京都の公立小学校の「アルマーニ制服」問題まで取り上げられ、野党の激しい追及が続いている。
 答弁に立つ安倍晋三首相、そして各閣僚。
 質問者と対峙する安倍首相を委員席から鋭い目で見つめている石破茂元地方創生相。
 委員会での石破氏が着席しているのは質問者のすぐ後ろの中央。
 答弁に立つ安倍首相との距離は10メートルほど。
 この10メートルが安倍首相と石破氏の現在の立ち位置の違いをそのまま表わしている。
 12年12月26日以来、ずっと政権の座にいる安倍首相。
 在任期間は第1次政権時とあわせて歴代3位に。
 石破氏のほうは閣僚からも、自民党執行部からも外れている。
 9月の自民党総裁選。今年にはいってから、総裁選へ向け党内のざわめきが大きくなっている。
 安倍首相が3選をものにするか。
 安倍首相は「3選」に強い意欲と自信を。
 ここにきて、石破氏の声は高くなっている。
 原子力発電、憲法改正で安倍首相を厳しく批判。
 「車のラジオで聞いてひっくり返ってしまった」といった言い方までしている。セミナーを開き、政策本も出版。
 石破氏の地元、鳥取県の後援者の間では「石破総理を誕生させ、首相官邸でカレーを食べよう」が合言葉になっている。
 いま予算委員会での安倍首相と石破氏の距離は10メートル余。
 これが半年後にはどうなっているか。縮まっているか、それともいまのままか。

「再出発」

 社民党が新たなスタートを切った。
 2月24日、25日の2日間にわたって行われた定期大会。
 又市征治幹事長が党首に就任し、吉川元氏が幹事長の座に就き、福島瑞穂副党首と照屋寛徳国会対策委員長が留任。
 又市氏は参院議員で当選3回、73歳。
 社民党の新しい船出を見守ったのは立憲民主党枝野幸男代表、民進党大塚耕平代表、共産党志位和夫委員長、自由党小沢一郎代表。
 新執行部で注目されるのは吉川幹事長。
 吉田忠智党首が任期満了に伴い「党首辞任」を表明した当初、吉川氏の「新党首就任」がささやかれていた。
 前身の社会党時代、国会議員だけで200人を超えていたが、現状は衆院議員は吉川氏、照屋氏、参院議員は又市氏、福島氏の4人だけ。
 その中で吉川氏は最も若い51歳。
 神戸大を中退し、日本社会主義青年同盟本部に。社民党の機関紙「社会新報」の記者、秘書を経て12年の衆院選に初出馬して初当選。
 党内にあっては文科委員、総務委員、党大分県連顧問、副幹事長、政審会長を歴任してきている。
 「終始一誠意」を座右の銘としている。
 社民党はこれまで何度となく脱皮を目指しての再出発をしている。
 社会党から社民党に党名を変更。86年には土井たか子氏が委員長となり「おたかさんブーム」を巻き起こした。村山富市氏が自民党との連立で首相の座にも就いている。
 又市党首を支える吉川幹事長がどう手腕を発揮するか。
 「野党合流」にはどう対応するか。