中央政界特報

■平成29年11月16日(木) 第5333号

「政治特報」

 衆院選に大勝した安倍晋三首相。国民からの「信任を受けた」と来年9月の自民党総裁選での3選、長期政権へ強い自信を取り戻している。

 衆院選大勝は余裕となってあらわれている。
 第四次内閣発足後の各党控室への挨拶まわりに。
 民進党から離れた「無所属の会」の控室に入るや、岡田克也代表に「大会派ですね。大物ばかりで」と。
 岡田氏をはじめ、野田佳彦前首相、江田憲司氏、安住淳氏らの顔触れを頭に置いた挨拶。
 共産党への挨拶では志位和夫委員長に「また、しっかりと論議をしたい」と。
 第98代首相に選出された直後の記者会見も、それは余裕たっぷりだった。
 20分間余の記者会見は1分30秒の就任のあいさつのあと、7分間は政策。そして13分は質疑応答だったが、この間の言葉に「信任」が8回、「信託」が2回、「支持」のが1回。
 284議席を獲得したことで国民から「信任」されたの自信が。
 強気は選挙結果に対して。
 「これまでの3回の選挙で最高」
 陣頭に立って3度の衆院選だが、1回目の12年が294議席、2回目の14年が291議席、3回目の今回が284議席。
 「野党が分裂したことによる勝利。自民党が評価されたのではない」(永田町筋)といった声があり、党内にも石破茂氏の「おごってはいけない。国民との間には少し乖離がある」の批判や、選挙戦で大活躍した小泉進次郎氏からの「野党がボタンの掛け違いしたため」と、「1強維持」にクギをさす声もあるが、安倍首相は強気の姿勢を。
 衆院選3連勝で閣僚、党執行部は全員が留任。
「仕事人内閣」を再始動させている。
 1年で退陣した第1次内閣を含めると、4度目の政権担当だ。
 第4次は吉田茂首相以来で、戦前の首相を含めても3例目。
 在任日数でも佐藤栄作首相の2798日、吉田茂首相の2616日につぐ3番目。
 まさに長期政権だ。だが、安倍首相としては「通過点」。
 その目は来年9月の自民党総裁選。そして2021年までの政権担当を睨んでいる。
 「ポスト安倍」には岸田文雄政調会長、野田聖子総務相、河野太郎外相、石破茂元地方創生相の名前があがっているが、二階俊博幹事長は「安倍の後は安倍だ」と。

「再登板」

 衆院副議長に就任の立憲民主党赤松広隆氏。
 議長の自民党大島理森氏が再任なら、赤松氏は再登板。
 赤松氏は12年から14年に副議長を務めている。
 立憲民主党が野党第一党になったことで、「再登板」ということに。
 当初、菅直人元首相が「副議長になるのでは」といった声もあったが。
 正副議長は衆院選ごとに交代するのが慣行。これを破っての再登板は衆院の歴史にあって初めてのこと。
 「少数意見に配慮していきたい」
 立憲民主党には希望の党から排除されて。枝野幸男代表と並ぶ党の重鎮だ。
 1948年5月3日、名古屋市生まれ。
 二世議員だ。父親は旧社会党副委員長の故赤松勇元衆院議員。
 父親の影響もあり、早大高等学院時代から学費値上げ反対闘争などに。
 早大に入学後の18歳のときに、社会党系の日本社会主義青年同盟に入っている。
 政治の世界に足を踏み入れたのは79年。愛知県議に初当選。
 県議を3期務めた後、国政に。愛知6区から社会党公認で衆院選に初出馬してトップ当選。このとき44歳。
 当時の山花郁夫委員長に高く評価され、新人として異例の書記長に就任している。
 武勇伝の持ち主だ。
 早大卒業後、日本通運の旅行部門に入社。入社2年目の73年、ヨーロッパツアーに添乗中、KLMオランダ航空機がパレスチナゲリラにハイジャックされた。
 2昼夜にわたって投降を説得。無事、解放に導いている。

「政策通」

 民進党代表の大塚耕平代表。
 衆院選で民進党は分裂してしまった。
 前原誠司氏が枝野幸男氏と競り合って代表の座にすわったとき、ここまで分裂するとは誰しも思っていなかった。
 それがあっという間に「希望の党」「立憲民主党」「民進党」「無所属の会」とバラバラに。
 大塚氏が代表に就任したのは10月31日の両院議員総会で。
 11月1日召集の特別国会前日というあわただしさのため、地方組織や党員、サポーターによる投票はなく、党籍のある国会議員のみによって決められた。
 代表選出馬には20人の推薦議員が必要。
 結局、出馬したのは大塚氏のみ。蓮舫元代表も出馬の意欲をみせていたが、推薦人を集めることができなかった。
 新代表の大塚氏。党内では「政策通」で通っているが、永田町ではほとんど無名。それこそ「大塚FOW」だ。これは大塚氏が自ら言っている。
 「私が大塚耕平です。大塚って『誰だ』という面があると思います」
 代表就任の挨拶も「もともとは日本銀行の職員で」と自己紹介からはいっている。
 1959年10月5日、名古屋生まれの58歳。早稲田大学卒業後、日本銀行に就職。日本銀行には17年9カ月在職。
 国会議員になったのは13年の参院選に出馬して初当選。
 日銀在籍中に身につけたものを「生かしたい」が政治家になった理由。 鳩山内閣で内閣府副大臣、菅内閣で厚生労働副大臣を。
 「粉骨最新する」と。趣味はスキー、スキューバーダイビング。

「待機組のため息」

 自民党内にため息がもれている。
 第98代首相に選出された安倍晋三首相は、即、第四次安倍内閣を発足させている。
 「政策の継続」で党役員、全閣僚はそっくりそのまま全員が留任。
 これにため息が。ため息の主は、当選回数を重ねているベテラン議員。
 自民党内の慣習で衆院は当選5回以上、参院は当選3回以上が大臣の椅子をものにできる「入閣適齢期」とされている。
 突然の解散、総選挙。本来なら選挙があれば、そのつど大臣の顔ぶれが変わる。
 「適齢期」議員の間には「ひょっとしたら」の期待があった。
 だが、今回の解散、選挙ではそうならなかった。そこでため息が。
 8月に改造があったばかりということで、「全員留任」の予測はされていた。それでも「適齢期組」には「一部でも入れ替わりがあるのでは」という淡い期待があったのは確か。
 毎回、改造があるとき、「適齢期議員」は落ち着かない。
 「今度こそ」とモーニングにプレスをかけ、首相官邸からの「呼び込み」を電話の前で待つ。
 それが、今回は菅義偉官房長官が記者会見で「閣僚、党役員はそのまま留任」のひとことで終わり。
 待機組の中には、今回の選挙で当選8回になったという大ベテラン議員もいる。
 安倍晋三首相が小学生だったころ、東大の学生として家庭教師をした平沢勝栄氏だ。
 このままいけば次なる改造は来年秋。9月に自民党総裁選が行われる。このときに内閣改造が。それまで待つことに。

「大会派」

 「希望の党」「立憲民主党」「民進党」「無所属の会」と4つに分裂してしまった民進党。
 野党の衆院での会派の勢力は立憲民進党・市民クラブが一番多く54人。次いで希望の党・無所属クラブの51人、無所属の会13人、共産党12人、日本維新の会11人、自由党2人、社民党・市民連合2人、無所属8人。
 ちなみに自民党は283人、公明党29人。
 野党で3番目の無所属の会だが、存在感では一番議席の多い、立憲民主党に負けていない。
 「野党の中でも、自民党が最も神経を使うことになるのではないか」(永田町筋)
 それというのも、所属議員の顔ぶれにある。
 当選回数10回の岡田克也氏をはじめ安住淳氏(8回)、中川正春氏(8回)、野田佳彦氏(8回)、原口一博氏(8回)、平野博文氏(7回)、江田憲司氏(6回)、菊田真紀子氏(6回)、篠原孝氏(6回)、福田昭夫氏(5回)、黒岩宇洋氏(3回)、金子恵美氏(2回)、広田一氏(1回)の13人。
 代表に就任している岡田氏、前首相の野田氏、さらには江田氏、安住氏、原口氏、平野氏といったように「大物」がズラリと揃っている。
 まさに「大会派」そのものだ。
 これは安倍晋三首相も言っている。
 第98代首相に就任するや、その足で各派の部屋を訪ねる挨拶まわり。
 「無所属の会」の部屋に入るや、岡田代表と握手をしながら「大会派ですね。大物ばかりが揃っている」と。
 岡田代表は分裂した希望の党、立憲民主党との再編の「結節」になる考えを明らかにしているだけに注目される。

「女性議員」

 11月3日、東京で日本政府が発起人となり、今回で4回目となる国際女性会議「WAW!」総会が開かれた。
 トランプ米大統領の長女、イバンカさんも出席。
 女性の社会進出の大きさを主張。
 WAW総会の前に、注目されるランクづけが公表されている。
 「世界経済フォーラム」の報告書で、男女格差を国別にランクづけしたもの。
 これによると、日本は144カ国中114位。
 G7(主要先進国)の中では最下位。
 安倍晋三首相は政権の座についてから、「女性の社会進出」を重要政策に掲げている。だが、現実には目指している方向に進んでいない。
 この調査は「政治」「経済」「教育」「健康」の4部門での数値を出している。日本が大きく沈んでいる原因となっているのは政治部門。
 今回の衆院選挙でも女性の当選者は少なかった。
 前回の選挙より2人増えているとはいえ47人の当選がやっとだった。
 当選議員の中での割合は立憲民主党の22%が最高。自民党は8%。
 女性議員を増やす方向での検討はされているが、それは実行に移されていない。
 大臣の人数になるともっと寂しい。今回の第4次内閣は全員が留任。
 その中の女性閣僚は野田聖子総務相、上川陽子法相の2人だけ。
 26年の内閣改造のときは高市早苗総務相、有村治子女性活躍相、山谷えり子拉致担当相、松島みどり法相、小渕優子経済産業相を誕生させているが、5人もの女性閣僚はこのときが最初で最後になっている。

「19年が勝負」

 自由党小沢一郎代表が声を高くしている。
 「19年の参院選が勝負だ」と。
 今回の衆院選。自民党が大勝し、野党はバラバラ。
 立憲民主党が野党第1党となったが、総勢55人と、最少の野党1党。
 小沢代表はこの結果に歯ぎしりしている。
 「当初の計画通りにいっていれば、政権交代していたのは間違いない」
 小沢代表が主張していたのは野党が力をあわせて戦う「オリーブの木」戦法。
 だが、希望の党が立ち上げられ、民進党は細分裂。野党再編どころではなかった。
 小沢氏は諦めていない。19年の参院選に的を絞り込んでいる。
 「勝手なことを言わずにまとまれば、自民党を過半数割れにもっていける」
 小沢氏のこれまで歩んできた足跡は、新党立ち上げ、再編の繰り返し。政権も誕生させている。
 93年5月に自民党を離党したあと、まず新生党を結成。8月に非自民党の新生党を軸に7党1会派で細川内閣を発足させている。細川首相が退陣した94年4月には羽田内閣を誕生させた。94年12月に新進党結成。97年12月に新進党を解党し、98年1月に自由党を旗揚げ。99年1月には自民党と「自自連立」をはかり小渕内閣を誕生させている。
 03年には自由党を民主党と合併させ07年7月に民主党政権をもたらしているが、その裏で、福田康夫首相と「大連立」の協議を。
 新党立ち上げと、新政権樹立のスペシャリストだ。今回、自民党に大勝をゆるしたことで、「再編」の血をまた燃やしてきた。