中央政界特報

■平成29年6月15日(木) 第5311号

「政治特報」

 自民党内で麻生太郎副総理兼財務相が領袖の「麻生派」が大きくふくれる。細田派につぐ二番目の勢力に。その狙いは。

 毎週木曜日の昼、国会には「カレー」の匂いが。
 しっかりスパイスのきいた香りが。
 自民党各派は木曜日の昼に派閥の会合を開く。このとき昼食としてカレーが。かくして木曜日の国会にはカレーの匂いが流れるということに。
 いま最も多くのカレーが運び込まれているのは96人と最大派閥の細田派。
 ついで55人の額賀派だが、7月からは麻生派が額賀派を抜き、2番目に多くのカレーが運ばれる。
 それもとびきり香辛料のきいた極辛カレーになりそう。
 麻生派が膨張だ。このことは麻生太郎副総理兼財務相が自ら明らかにしている。
 7月3日に山東昭子元参院副議長が会長の山東派と、佐藤勉衆院議員運営委員長が率いる佐藤グループと麻生派が合流する。
 これによって約60人の党内第二位派閥に。
 当初、麻生副総理は岸田派を巻き込む「大池会」をねらっていたが、そこまではいかなかった。
 それにしても、ここにきての「派閥拡大」の狙いは。
 永田町ではさまざまな見方がされている。
 その第一は麻生副総理が「再び政権の座を目指す」というもの。
 76歳という年齢からも政権の座をものにするには最後のとき。
 「これ以上は待てないはず」(永田町筋)
 そして「自らが政権取りではなく、キングメーカー、ドンの座を狙っているのでは」の見方が。
 43人と勢力を拡大している二階俊博幹事長との「キングメーカー争いは一段と激しくなるはず」
 永田町にはそういった声も聞かれる。
 麻生副総理が政権の座に就いたのは2008年9月。リーマンショックの後遺症で世界が揺れているときだった。
 「景気対策」を前面に出した政権運営だったが、結局358日で麻生政権は幕を降ろしている。このとき支持率は20パーセントを割り込んでしまっていた。
 話題になったのは、ホテルのバー強い。
 それだけに「いま一度の気持ちは強いはず」(永田町筋)とも。
 総裁選出馬となれば「資金」が。
 国会議員で飛び抜けた資金力を誇っている。
 東京・渋谷区神山町の自宅は敷地面積約2400平方メートル、洋館造りの建物の延べ床面積は約720平方メートル。
 座右の銘は「天下為公」。

「戦闘服」

 小池百合子東京都知事が戦闘服に着替えた。
 6月23日告示、7月2日投開票の東京都議会議員選挙。
 日本の首都の選挙とはいえ、国政選挙ではない。地方選のひとつだ。
 それが国政選挙のような注目を集めている。
 小池知事に「焦点」が当たっていることからきている。
 5月28日で知事の座に就いて300日がたっている。
 この間の小池知事は「百合子スマイル」をふりまいてきているが、本当の真価は都議会議員選で問われる。
 そこで戦闘服に着替えた。
 小池知事の戦闘服はグリーンのジャケット。
 これは小池知事が自ら言っている。
 「緑のジャケットは私の戦闘服です」
 これまで3度、戦闘服を。
 昨年の都知事選、豊洲市場視察、昨年10月の衆院東京10区補欠選挙での若狭勝氏応援の3度。
 そして、4度目の戦闘服は6月1日の都民ファースト総決起大会で。
 この日、「決められない知事」と揶揄されていた自民党から離党をし、都民ファーストの会の代表に就任。
 戦闘服に身を包み、決起大会で声を高くしている。
 「私は改革に燃えている」
 自民党との真っ向からの対決に舵を切った。
 現状はどうか。一時ほどの「百合子旋風」はなくなってきている。
 世論調査のなかには「都民ファーストの会」は苦しい数字に。
 「永田町ではない。新宿(都庁)ですから、永田町の声は気にしない」と強気をアピールだが。

「正念場」

 「負けられない戦い」の陣頭指揮をとる自民党下村博文幹事長代行。
 自民党を離党し「都民ファーストの会」の代表に就任した小池百合子東京都知事との「世紀の戦い」に。
 下村氏は昨年、石原伸晃氏の辞任の後を受け、自民党東京都連会長に就任している。党本部の幹事長代行という要職にあっての都連会長。
 7月2日投開票の東京都議会議員選挙は、都連会長として絶対に「負けられない」戦いだ。
 安倍晋三首相も言い切っている。
 「できたばかりの政党に都政を支える力はない」
 これこそ安倍首相からのゲキであり、ハッパだ。
 「自民党がしっかりと戦い、しっかりと勝つ」
 短い言葉の中に都連会長としての決意のほどが。
 都議会の定数は127議席。
 ここにきて、小池知事に吹いていた追い風は弱まってきている。それは各世論調査でも明らか。
 だが、それでも小池知事個人の人気は依然として根強い。
 「下村氏は都連会長として勝たなければ、自民党国会議員としての立場は厳しいものになってしまう。正念場といっていい」(永田町筋)
 苦労人だ。9歳のときに父親を交通事故で亡くし、残された母親、弟と3人で苦しい生活を。高校、大学は奨学金で。
 「人を幸せにするには政治家にならなくては」と、東京都議から政治家としてのスタートを。国政に転じたのは1996年。
 12年9月の自民党総裁選では、「安倍総裁復活」の舞台裏で懸命に動いていた。
 安倍首相からの信頼は厚い。

「かりゆし」

 6月2日から安倍晋三首相をはじめとし、安倍内閣の閣僚は沖縄の正装「かりゆし」を身につけている。
 6月1日、午前中の10時30分過ぎ、翁長雄志沖縄県知事が「かりゆしウエア」を手に、首相官邸にやってきた。
 梅雨の盛りの沖縄から飛んできた翁長知事は、安倍首相にピンク色のかりゆしを、同席した菅義偉官房長官にはブルーのかりゆしをプレゼント。
 約10分間の会談となったが、普天間飛行場の辺野古移転問題は出ずに、記念撮影と和気あいあいのかりゆし談義に。
 「かりゆしを日本だけでなく世界にもファッションと発信していきたい」
 安倍首相と翁長知事が顔を合わせたのは約1年ぶりのこと。
 かりゆしを最初に身につけたのは小泉純一郎元首相。
 2005年6月1日。クールビズが国会や中央官庁で始まり、小泉首相もかりゆし姿に。
 このときは沖縄県からのプレゼントではなく、パンフレットから3、4着を選んで購入している。
 以来、夏になると閣僚はかりゆしウエアに。
 それ以前は79年に大平正芳首相が「省エネルック」として半袖スーツを。94年には羽田孜首相が袖を半分に切ったスーツ姿をアピールしたが、いずれも流行にならずすぐ立ち消えとなっている。
 かりゆし姿は「自分には似合わない」とスーツにネクタイで夏を過ごしたのは福田康夫首相。
 麻生太郎氏もかりゆしには腰がひけていた。
 だが、副総理兼財務相としての今年はかりゆしで国会に姿を見せている。
 安倍首相がどこまでかりゆしファッションを発信することができるか。

「サマータイムは」

 厚生労働省が立ち上がった。
 大きな社会問題になっている労働環境に、厚生労働省が自ら範をしめすことを。
 それは午後8時に退庁。会議は30分以内。年に1回以上、午後8時に完全消灯にする。
 政府は今年3月から「プレミアムフライデー」を実施している。
 毎月最後の金曜日は午後3時に仕事場から離れる。企業に「プレミアムフライデー」の実施を求めている。
 安倍晋三首相も4月、5月の最終週金曜日は外遊中だったが、3月は山梨県鳴沢村の別荘にこもり、プレミアムフライデーを率先垂範している。
 「働き方改革」は安倍政権の大きな政策のひとつ。
 だが、現実は狙い通りにはいっていない。
 15年夏、東京・霞ヶ関の官庁街は1時間早く動きだした。7時、8時には職員は仕事に。
 その年の3月27日の閣僚懇談会で安倍首相は「早朝の仕事」の指示を。
 午前7時から仕事をはじめ、夕方4時過ぎには退庁。しかし、これの徹底は無理だった。
 夏になると決まって出てくるのが「サマータイム」だ。
 欧米ではごく当たり前のように導入されている。
 だが、日本をはじめアジアでは消極的。
 日本では戦後の4年間に実施されたが、根づかずで終わってしまっている。
 国会でも「サマータイム導入」が議題にあがったことがある。2008年には超党派の「サマータイム制度推進議員連盟」が法案を国会に提出したが導入はならないまま。
 「プレミアムフライデー」も月1回では。

「飛び回る幹事長」

 自民党二階俊博幹事長が飛び回っている。
 羽田を発って外国に、というと安倍晋三首相。
 「必要があればどこにでも行きます」と自認している「トップセールスマン」そのもので、フットワークのよさを見せている。
 G7(主要先進国首脳会議)の帰りには、日本の首相として初めてとなる地中海の島国マルタを訪問している。
 そんな安倍首相も顔負けの行動力を二階幹事長が見せている。
 5月に中国を訪問したかと思うと、6月には韓国に飛んでいる。
 中国訪問は5月12日から16日まで。安倍首相から親書を託され、習近平国家主席とも会談。
 二階幹事長は中国に独自の太いパイプをもっており、これまでにもしばしば訪中している。15年5月に訪中したときは約3000人の大訪問団を引き連れてのものだった。
 この時も習国家主席と会談。
 二階幹事長は中国が主導しているアジアインフラ投資銀行(AIIB)について、日本も参加すべきの考え方を持っている。
 韓国訪問は6月10日から13日に。
 二階幹事長が率いる派閥「師志会」は、いま自民党の派閥で最も活気に満ちている。
 5月には論客の平沢勝栄党広報本部長が加わり、総勢43人に。
 都道府県会館のすぐ近くの砂防会館に「師志会」事務所はあり、千客万来だ。
 幹事長のポストに就いてから9カ月余だが、二階幹事長の鋭い眼光は党内の隅々まで。

「首相と髪」

 6月に入って最初の土曜日、6月3日の安倍晋三首相は、東京の繁華を西に東にと。
 午後1時すぎに六本木のホテルグランドハイアット東京内の「NAGOMIスパアンドフィツトネス」で汗をかき、そのあと新宿のホテルヒルトン内の「村儀理容室」で整髪。そして夕方には銀座8丁目の天ぷら「天一」で食事。
 この日、二か所目となった「村儀理容室」は小泉純一郎元首相が40年来のごひいき。ライオンヘアーの生みの親だ。
 以前は永田町のキャピトル東急ホテル地下3階にあった。俳優のショーン・コネリー氏も来日したときにはここで調髪。
 安倍首相が政権の座に復帰したのは12年12月26日。あれから4年半以上。
 頭髪に白いものが目立つようになってきている。
 国会の会期末は6月16日。その前に髪を整えてか。
 長期政権だった中曽根康弘元首相は髪の乱れを嫌い、飛行機のタラップを降りるときは、風向きをしきりに気にしていた。胸ポケットにはクシが。
 髪型に気配りしていたのは橋本龍太郎元首相。その髪型はリーゼントで、もみあげのラインがびしっと決まっており、流し目とともにトレードマークに。毎朝、鏡の前に30分は立っていたという。
 野田佳彦元首相は就任当初、1000円カットで庶民派をアピールしていた。
 安倍首相の父親、安倍晋太郎元外相はオールバックで通していた。安倍首相はオールバックではなく、中央よりやや右側で両わけ。
 ハードスケジュールで白いものは増えていく。