中央政界特報

■平成28年12月29日(木) 第5287号

「政治特報」

 ひとつの時代が終わった。米オバマ大統領が退陣。安倍晋三首相とは「バラク」「シンゾウ」とファーストネームで呼び合う仲だった。

 オバマ大統領が第44代米国大統領に就任したのは2009年1月20日。
 この日、就任式の行われた首都ワシントンの連邦議会議事堂前、そして沿道には200万人もの国民が。これまでの最高だったジョンソン大統領の就任のときの120万人を大きく上回った。
 1961年、ハワイ州ホノルル生まれ。ニューヨーク州コロンビア大学、マサチューセッツ州ハーバード大ロースクールで学び、91年にシカゴで弁護士に。04年にイリノイ州上院議員に当選。
 大統領就任演説は18分におよんだ。
 演説で強調したのは名言「Yes We Can!」。
 2009年には日本では民主党政権になり、鳩山由紀夫氏が首相に就任している。
 だが、鳩山、菅直人、野田佳彦の3氏の民主党政権は3年半余で終わってしまっている。
 安倍首相が誕生したのは12年12月。
 ともにゴルフが趣味とあって、個人的にも強いつながりが。
 2014年に国賓として来日したときには東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」で「お・も・て・な・し」をしている。
 日本の歴代首相と米国大統領がファーストネームで呼び合う仲になったのは中曽根康弘首相とレーガン大統領、小泉純一郎首相とブッシュ大統領。そして安倍首相とオバマ大統領だ。
 5月、オバマ大統領は米国大統領として初めて広島を訪れ、献花をしている。
 安倍首相とオバマ大統領との最後の首脳会談は12月27日、ハワイで。
 安倍首相は真珠湾を慰霊。
 オバマ大統領のミシェル夫人、安倍首相の昭恵夫人との「ファーストレディー外交」も注目だった。
 昭恵夫人はミシェル夫人を自らが東京・神田に開いている山口県の郷土料理店「うずUZU」に招待し「お・も・て・な・し」をしている。
 2017年1月20日、次期大統領としてドナルド・トランプ氏が就任する。
 オバマ大統領と同じようにファーストネームで呼び合う関係を築くことができるか。

「勝負ネクタイ」

 安倍晋三首相の勝負ネクタイはやはり「黄色」だった。
 12月15日、安倍首相の地元、山口県長門市でロシアのプーチン大統領と首脳会談。
 このとき明るい紺色のスーツでネクタイは黄色地に濃紺のストライプ。
 黄色のネクタイは「ここぞ」という場面で必ず締める勝負ネクタイ。
 プーチン大統領を迎えるにあたっても、「黄色」で勝負だった。
 ちなみにプーチン大統領のネクタイは紺地に細かい斑点が。
 プーチン大統領との会談は15日に温泉旅館「大谷山荘」で少人数会合を3時間、通訳のみを同席させた首脳会談が95分。
 山口では合計4時間半余の会談。
 そして東京でも話し合いをしている。
 会談について安倍首相は「重要な一歩」と進展を強調。
 特別な制度下での共同経済活動の協議入りは「成果」となったが、最も注目され、焦点とされていた「北方領土問題」に踏み込むことができなかったのは事実。
 これは安倍首相が共同記者会見で明らかにしている。
 「困難な道は続く」
 ネクタイにはそのときどきの状況が表れている。
 衆院東京10区補選のときは、小池百合子東京都知事のカラー「緑色」にあわせるようにグリーンのネクタイをしめて選挙カーに立っている。
 「小池さんにあわせるように、朝から青汁を2杯も飲んできました」といったことまで。
 だが、一番の勝負ネクタイは黄色。
 山口でも「勝負」に出たのだが。

「最高の年だった」

 1952年7月15日生まれの小池百合子東京都知事。
 今年は「年女」の年ではなかったが、やることなすことすべてが思い通りに。
 生まれ年とは関係なく、文句なしの「年女」だった。
 日本中にフィーバーを巻き起こしたことは「流行語大賞」で大賞にはならなかったが「百合子語」が多くノミネートされたことに表れている。
 自民党の激しい圧力にも屈せずに東京都知事に当選。
 すぐに手をつけた築地市場の豊洲移転問題。
 つぎつぎに豊洲の問題点を明らかに。
 そして2020年東京五輪・パラリンピックの開催会場問題にも。
 もめにもめた未決定だった3会場の水泳は五輪水泳センター、ボート・カヌー・スプリントは海の森水上競技場、バレーは有明アリーナに。
 記者会見では「大山鳴動して…」の厳しい質問を受けたが「失礼じゃないですか。予算を大幅に削ったではないですか」と逆襲している。
 事実、「百合子の抵抗」によって水泳センターは169億円、海の森水上競技場は193億円、有明アリーナは65億円のカットに。
 「ざっくり400億円を削減できた」と声を高くし、百合子スマイルを。
 次なる目ざすものも明らかになってきている。
 来年夏の東京都議会議員選挙。明言している。
 「念頭に考えています」と。
 新党旗揚げについても言及している。
 自らが起こした政治塾には全国から4827人が応募し、2902人が受講生に。
 この中から候補者擁立を。

「来年に勝負」

 囲碁を趣味とし、その実力は「永田町で一番」と言われる自由党小沢一郎代表。
 その囲碁は「攻め」にある。
 2016年も終わり、迎える2017年。新しい年を小沢代表は徹底して「攻め」に出る構え。
 ことあるごとに「私は駄馬では終わらない」と口にしている。
 「勝負」に出ることは党名を変更していることに表れている。
 10月12日、14年からの「生活の党と山本太郎となかまたち」を「自由党」に変更。
 これまで新党をつぎつぎに立ち上げるという変遷をしてきている。
 初当選した1969年から離党した93年までは自民党。
 その後93年から94年が新生党、94年から97年が新進党、98年から2003年が自由党、03年から12年が民主党、12年には国民の生活が第一、日本未来の党、12年から14年が生活の党、14年〜16年が生活の党と山本太郎となかまたち。そして今年秋になって自由党に。
 そんな政党遍歴の中で小沢代表が腕力を発揮したのは自民党時代と自由党時代だ。
 自民党時代は幹事長として剛腕を振るった。
 自由党時代には600万票を超える票を獲得し、その勢いで民主党と合流し、民主党政権の足場を作っている。
 自由党への党名変更は「勢いのあったとき」への原点回帰。これは小沢代表が断言している。
 「自由党は政治理念が明確だ」
 来年の早々にも予想される衆院選挙への備えだ。
 12月14日には自らを含めた10人の公認候補を内定している。