滋賀県も戦場だった!県平和祈念館の企画展

■平成30年8月12日(日) 第18192号

=八日市飛行場など紹介 空襲に遭った民家再現=

会場で展示されている終戦直後の大津海軍航空隊の様子。廃棄のため並べられた水上機の手前に進駐軍のジープも見える。

 【東近江】 県平和祈念館(東近江市下中野町)の企画展「戦場となった滋賀―県下の戦争遺跡―」が開催され、太平洋戦争中に設けられた軍事施設と避難壕、県内各地の空襲を写真パネルや地図などで紹介している。9月24日まで。
 戦争末期、日本は米軍の本土攻撃を避けられないところまで追いつめられた。軍部はこのような状況を受けて、国内の軍隊、軍事施設を増強し、地下陣地や塹壕、避難壕を設置して、本土決戦の準備を始めた。
 県内では八日市と大津が、軍都として知られる。八日市には、民間飛行場を前身とする陸軍飛行場があり、空襲から軍用機を守るため、機体を隠す掩体壕(えんたいごう)が周辺に造られた。飛行場跡は戦後、周辺地域と調和しない土地割で道路が整備されたため、その範囲は地図上から一目瞭然だ。
 大津には、明治時代に歩兵第九連隊が置かれ、大正時代の世界的な軍縮の流れで縮小、京都に移転し、大戦末期に大津陸軍少年飛行学校、滋賀海軍飛行隊が設置され、特攻訓練が行われた。
 一方、県内を襲った空襲は昭和20年7月から頻発し、戦闘機の機銃掃射が軍事施設や軍需工場、列車に浴びせられ、民間人も多く犠牲になった。
 また会場には、守山駅の空襲で機銃弾を浴びた民家を再現。屋根から板の間へ突き抜けた生々しい弾痕が残っており、穏やかな日常生活を恐怖に陥れた空襲の実態を伝えている。
 東近江市在住の男性は、「あまり知られていない滋賀県の空襲について、なぜそこが狙われたのか、あらためて分かった」と話していた。
 入館無料。月火曜日は休館だが、13日、14日は開館し、平和祈念行事を行っている。問い合わせは同館(TEL0749―46―0300)へ。


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